越後みその特徴
越後の風土に育まれ
江戸時代より蔵人のたゆまぬ努力により
鍛え上げられた越後みそ。
そのしっとりした滑らかなみそは
華やかな発酵・熟成の香りと
深く豊かな味わいです。
色は、熟成その時々の輝きを保ち
淡い色から冴えある濃い赤まで
バラエティ豊かです。
新潟県は、上越(上越市中心)、中越(長岡市中心)、下越(新潟市中心)及び佐渡の4つのブロックに分かれており、それぞれが、歴史的、風土的に異なった文化を持ち、味噌作りにおいても地域性があります。
‐上越タイプ‐
味噌汁に米麹の粒が雪が舞うようにふわっと浮かぶ
麹の甘味がすべて溶け出し
袋状の麹のみが味噌汁に
浮いた“浮き麹”として有名
色は淡赤色、香りが新鮮でさわやかな味噌です。
‐中越・下越タイプ‐
大豆による深みのあるコクと
米こうじの自然な甘みが調和されていてすっきりと
あきのこない味です。
色は冴えた赤色、
発酵・熟成による華やかな
香りをもつ味噌です。
‐佐渡タイプ‐
佐渡の気候と技法により味噌桶の芯まで深く力強く発酵・熟成を行き渡らせます。
それが独特な香りと重厚な味わいを醸し出しています。
赤(濃し)タイプがその代表です。
‐越後みその歴史‐
越後における古い時代の味噌醸造については、永禄7年(1565年)に上杉謙信公が現在の千葉県に攻め入った際、当時の野田地方で発達していた味噌の作り方を兵に習得させ、それを農民に広く伝えたという説があります。味噌製造業としては、長岡市の(株)上州屋醸造所が越後における嚆矢(こうし)※1といわれています。
徳川秀忠の時代の元和2年(1616年)に、上州大胡城主牧野忠成が越後の地に入り、同4年(1618年)長岡藩主に移封の際、上州屋の先祖初代伝兵衛が士分格として同行し、以後城主の糧秣(りょうまつ)※2確保などのため、保護を受けたといわれています。
越後には、村上、新発田、村松、長岡、高田などの城下町があり、そこには伝統の古い業者が存在しますが、それらの多くは上州屋と同様に、城主に保護されながら発達したといわれています。
城下町に根付き広まった、農家の自家醸造が現在の越後みそとして代々伝えられてきた礎となっています。
※1 嚆矢:《昔、中国で戦いを始めるとき敵陣に向かって「かぶら矢」を射たところから》物事のはじまり。
※2 糧秣:兵士の食糧と軍馬のまぐさ。
【出典】
今井誠一「味噌礼讃」,株式会社木戸製本所,
平成15年5月26日,p91~94
全国味噌工業協同組合連合会「みそ文化誌」,全国味噌工業協同組合連合会、財団法人中央味噌研究所,平成13年4月1日,p224~226
‐地域団体商標‐
越後みそは令和2年12月18日に特許庁より地域団体商標に認定されました。
地域団体商標とは地域の産品等について、事業者の信用の維持を図り、「地域ブランド」の保護による地域経済の活性化を目的としたものです。
商 標:越後みそ
権利者:新潟県味噌醤油工業協同組合
商標登録:第6331544
指定商品並びに商品の区分:
第30類 新潟県産のみそ
‐みそおにぎり‐
おにぎりに味噌を塗っただけの
生味噌おにぎりが
親しまれてきました。
子供たちのおやつとして
おにぎりに塗ってできあがり。
もちろん子供たちもこの味が大好き。
‐全国味噌鑑評会の成績‐
日本中の選りすぐりの味噌が集う
「全国味噌鑑評会」での受賞数や上位入賞率は全国トップレベルです。